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W杯ドイツ大会で、日本の守備の柱として活躍した横浜のDF中沢佑二(28)が、日本代表を引退する意向を固めていることが25日、分かった。関係者によると、中沢は現役は続行するものの、すでに代表引退の意向を日本サッカー協会の田嶋幸三技術委員長(48)に伝えた。協会側は慰留を続けているが、中沢の意志は固く、新生オシムジャパンでプレーすることなく代表のユニホームを脱ぐ可能性が高くなった。

 オシム新体制がスタートしたばかりの日本代表に衝撃が走った。今月初めに中田英寿氏(29)が現役引退を発表したのに続き、今度は中沢が日本代表引退の意思を固めた。海外では、代表引退を宣言するケースは多い。日本では、77年に釜本邦茂(現日本協会副会長)が代表を引退し、王様ペレと代表引退試合をしたことがある。しかし、釜本以外では、現役は続けるものの、代表引退を決断するのは極めて異例のことだ。

 日本サッカー協会関係者によると、中沢は先週に所属の横浜に代表引退の意向を伝え、23日には右でん部肉離れのため欠場した福岡戦が行われた日産スタジアムで、田嶋技術委員長と極秘接触。日本協会側に代表引退を申し入れたという。まだ28歳で、10年W杯南アフリカ大会を十分に狙える年齢だけに、田嶋委員長はその場で慰留した。横浜側も慰留を続けているが、現段階で本人の意志は固いという。

 関係者によれば、中沢は昨年からW杯後の代表引退を決意していた。昨年は横浜でリーグ戦、アジアチャンピオンズリーグ、ナビスコ杯、日本代表でW杯予選や親善試合に出場し続け、1年間で計48試合を消化。W杯前から冗談ながら「2010年は無理」「体が持たない」など引退をにおわせる発言を繰り返していた。実際、両足首、両ひざの痛みなど満身創痍(い)の状態で「つらかった」とこぼした。

 中沢にとって、W杯ドイツ大会は念願のW杯初出場だった。無名の埼玉・三郷工技高からブラジル留学、東京Vの練習生と苦労を重ねて、日本代表の座をようやくつかんだ。02年のW杯では落選しただけに、06年大会に懸ける気持ちは大きく、最初で最後と決めていた。1次リーグ敗退に終わり「簡単なものじゃない。レベルの差を痛感した」と悔しさは残ったが、世代交代の時期となるこのタイミングで代表を退き、横浜でのプレーに専念することに迷いはなかったようだ。

 オシム監督は「古い井戸にも水が残っている」と06年のメンバーを残す意向を明かしている。高さ、強さを武器にする中沢は、今後もDFの柱として期待されていたはずだ。8月9日のトリニダード・トバゴ戦、同16日のイエメン戦の招集の可能性は、中沢の右でん部肉離れからの復帰が来月中旬の予定のため、当初からなかった。

 復帰後の9月3、6日のアジア杯予選(対サウジアラビア、イエメン)に向け、日本協会は再度、説得する場を設ける予定だ。海外では、ジダン(フランス)やネドベド(チェコ)らが代表復帰した例がある。それまでに、中沢がどんな最終決断をするか注目される。
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