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日本代表の監督に就任してから4年、ジーコ監督(53)が掲げたパスサッカーは母国ブラジルの前に惨敗した。優勝を目標に挑んだ世界舞台で、ついに1勝も挙げられないまま1次リーグで敗退した。日本サッカー永遠のテーマである決定力不足も最後まで改善することができず。背負った期待に応えられないまま、日本での指揮を終えた。

 名選手ジーコの結末としてはあまりに寂しかった。「日本はいいチームだが、限界もある」。ブラジル戦後に漏らした本音。これまで強気の発言を繰り返してきただけに、まるで自らの限界を認めたようでもあった。

 パスをつなぎ、ボール支配率を高めながらゴールを奪う。ジーコ監督は母国ブラジルを手本にスタイルを築き上げてきた。だが、FW玉田が決めた先制点はブラジルの闘志の呼び水になっただけで、かえって何倍もの力の差を見せつけられた。

 苦しんだW杯アジア予選は終わって見れば1位通過。コンフェデ杯でもブラジルと引き分け「世界と互角以上に戦える」手応えを強調。そして、負けた試合でも「決めるべき時に決めていれば勝てていた」と語り続けてきた。

 今大会では、少ない決定機を外したFWを責めたが、以前、柳沢については「点は少なくても勝利に貢献できる」と評価していた。得点力の不安は承知で起用した選手に1試合1、2回のチャンスで結果を求めるのは酷。決定力がないならフィニッシュの形をどれだけ多く持つかに主眼を置くのも手だった。だが、絶体絶命となったクロアチア戦後、施した策はシュート練習のみ。ブラジル戦では巻、玉田、稲本を先発に抜てきしたが、遅すぎた感は否めない。最後は「ロナウドが私のチームにいれば良かった」という言葉まで口をついた。

 ただ、規律で縛ったトルシエ前監督から一転、自由を掲げたスタイルは日本サッカーを成熟させる上でのきっかけをつくった。4年間で国際Aマッチは37勝16分け19敗。「日本はプロが始まって10年。今、相手からも注意をひくようなチームに育ってきた」と振り返る。一方で、川淵キャプテンには「最低でも(毎回)W杯に行けるような強化を続けていく方がいい」と継続は力なりを訴えた。日本にもたらした経験はそのまま自身のものでもある。「欧州に行くかもしれないが、監督は続けていく」。指揮官もこのままでは終われない。

 ≪ボンに別れ≫日本代表がボンに別れを告げた。ジーコ監督をはじめ欧州に残る中田、小野、高原を除く20選手らが23日、ボン旧市庁舎を訪問。ディックマン市長にユニホームなどの記念品を贈呈した。同市長は「大会は残念でしたが、W杯を通じて全員が友人になれた。また来てください」とあいさつ。約1カ月間、ベースキャンプ地として歓迎を受けたが、選手が市関係者と触れ合うのはこれが最初で最後。貴重な機会となった。
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