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横浜MのFW坂田大輔(23)がオシム・ジャパン“第1号”で真っ先にアピールした。5日夜に急きょ決まった追加招集ながらスタメンとして積極的なプレーを見せ、開始1分に左足で先制点をゲット。その後も2アシストを決めるなど、3ゴールに絡んだ。今季は両太ももの肉離れなどに苦しんだが、いきなりの招集にもきっちりと対応。最高のスタートを切った。
長髪が汗で湿り、端正な顔がゆがんだ。ピッチを去るときは、もうヘトヘト。「かなり疲れたね」坂田は前半の45分に加え、後半22分から再び投入され、計68分間全力を振り絞った。結果、1得点2アシスト。練習試合とはいえ、開始1分にねじ込んだ左足の先制ゴールは記念すべきオシム・ジャパン“第1号”だ。
決して状態は万全ではない。初の代表選出は追加招集という形で訪れたため、大きな喜びの半面、準備不足は否めなかった。選出の一報が入ったのは5日夜。横浜Mの練習がオフだったため、2日間体を動かしておらず、そのまま合宿へと突入した。ただでさえ今季は両太ももの肉離れに苦しみ、リーグ戦出場はわずか4試合。今季初先発となった7月30日の新潟戦が約4か月ぶりのリーグ戦出場だった。それでも、この日は序盤からエンジン全開で走りまくった。
復帰戦の新潟戦を偶然にもオシム監督が視察。その際、前線で豊富な運動量でチームをけん引し、強烈なアピールとなった。「代表に呼ばれた意味は分かっている。走るしかない」自分の持ち味をこの日も出し切った。前半25分にはMF長谷部の縦パスに飛び出し、左から絶妙なクロス。FW佐藤のゴールをアシストした。一番の武器である50メートル6秒0の俊足を存分に見せつけた。
03年世界ユース選手権で初の日本人得点王(4点)に輝き、世界的に知名度が上がった。だが、04年アテネ五輪直前にはオフのハワイ旅行で体調を崩し、宮崎での五輪代表候補合宿にも遅刻。最終メンバーから漏れ、日の丸から遠ざかった。一時はサンプドリアやACミランなどが注目したが、海外移籍の可能性も薄れた。再び世界の舞台に飛び出すチャンス。まずはここで全力を出し切り、オシム・ジャパンに定着する。
長髪が汗で湿り、端正な顔がゆがんだ。ピッチを去るときは、もうヘトヘト。「かなり疲れたね」坂田は前半の45分に加え、後半22分から再び投入され、計68分間全力を振り絞った。結果、1得点2アシスト。練習試合とはいえ、開始1分にねじ込んだ左足の先制ゴールは記念すべきオシム・ジャパン“第1号”だ。
決して状態は万全ではない。初の代表選出は追加招集という形で訪れたため、大きな喜びの半面、準備不足は否めなかった。選出の一報が入ったのは5日夜。横浜Mの練習がオフだったため、2日間体を動かしておらず、そのまま合宿へと突入した。ただでさえ今季は両太ももの肉離れに苦しみ、リーグ戦出場はわずか4試合。今季初先発となった7月30日の新潟戦が約4か月ぶりのリーグ戦出場だった。それでも、この日は序盤からエンジン全開で走りまくった。
復帰戦の新潟戦を偶然にもオシム監督が視察。その際、前線で豊富な運動量でチームをけん引し、強烈なアピールとなった。「代表に呼ばれた意味は分かっている。走るしかない」自分の持ち味をこの日も出し切った。前半25分にはMF長谷部の縦パスに飛び出し、左から絶妙なクロス。FW佐藤のゴールをアシストした。一番の武器である50メートル6秒0の俊足を存分に見せつけた。
03年世界ユース選手権で初の日本人得点王(4点)に輝き、世界的に知名度が上がった。だが、04年アテネ五輪直前にはオフのハワイ旅行で体調を崩し、宮崎での五輪代表候補合宿にも遅刻。最終メンバーから漏れ、日の丸から遠ざかった。一時はサンプドリアやACミランなどが注目したが、海外移籍の可能性も薄れた。再び世界の舞台に飛び出すチャンス。まずはここで全力を出し切り、オシム・ジャパンに定着する。
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