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悲運再び―。横浜MのDF松田直樹は25日、川崎市内の病院で検査を受け、痛めていた右太もも裏の肉離れが完治していないことが判明した。軽度のものだが、全治3、4週間かかる見通し。
日本代表合宿中の7日の練習試合で故障した松田は別メニューで調整を始め、14日に韓国遠征中の横浜Mに合流した。その後は順調な回復ぶりを見せ、24日の練習では紅白戦にも出場。終了後に「違和感と言うほどのものではない」と話し、26日のカップ戦出場に問題はないかと思われた。
しかしこの日、腹痛を訴え病院で検査したところ、腹部の症状は急性胃腸炎で数日で治るものだったが、同時に行ったMRI(磁気共鳴映像法)検査の結果、肉離れが快方に向かっていないことが分かった。
3月25日に日本代表はW杯最終予選のイラン戦を迎えるが、その前のJリーグなどに出場できないとなれば、出場は厳しい。DF田中誠が警告累積で出場停止とチャンスだっただけに、何とも痛い再離脱となった。
平沼チームドクターは「しっかり治さないと続く(癖になる)ような状態。まずは炎症をとって、筋力も強化していかないとだめ」と今後のリハビリ方針を話した。
日本代表合宿中の7日の練習試合で故障した松田は別メニューで調整を始め、14日に韓国遠征中の横浜Mに合流した。その後は順調な回復ぶりを見せ、24日の練習では紅白戦にも出場。終了後に「違和感と言うほどのものではない」と話し、26日のカップ戦出場に問題はないかと思われた。
しかしこの日、腹痛を訴え病院で検査したところ、腹部の症状は急性胃腸炎で数日で治るものだったが、同時に行ったMRI(磁気共鳴映像法)検査の結果、肉離れが快方に向かっていないことが分かった。
3月25日に日本代表はW杯最終予選のイラン戦を迎えるが、その前のJリーグなどに出場できないとなれば、出場は厳しい。DF田中誠が警告累積で出場停止とチャンスだっただけに、何とも痛い再離脱となった。
平沼チームドクターは「しっかり治さないと続く(癖になる)ような状態。まずは炎症をとって、筋力も強化していかないとだめ」と今後のリハビリ方針を話した。
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「追浜からGK2人でトップ(Jリーグ)に行こうぜ」。高校1年の時に交わしたメールが現実となった。
横浜M入団の飯倉と、名古屋入りした内藤。同い年のGK2人は、ともに横浜Mジュニアユース追浜でしのぎを削った。
内藤が言う。「ずっと比べられてきた」。飯倉も「今だから言えるけど、最初のころは内藤が良いプレーをすると憎かった」。交わす言葉は少なかった。互いを強烈に意識し、2人は決して仲がいいとは言えなかった。
変わったのは中学3年になってからだった。2001年9月の高円宮杯全日本ユース県予選準々決勝。相手は横浜Mジュニアユース新子安。先発の飯倉が無失点に抑えるが、得点も奪えずPK戦へ。ここで内藤がGKに入り、2本を止めて勝利をもたらした。
レギュラーは飯倉。だがPKは抜群の強さを誇る内藤が締める。この〝方程式〟でその後チームは全国の頂点に立ち、「互いにできないことを補った」と飯倉。ライバルが、仲間へと変わった。
飯倉は横浜Mユースに昇格。一方、日大藤沢高に進んだ内藤は、GKコーチもいない恵まれた環境とは言えなかったが、メニューを自分で考え、控えに甘んじたジュニアユース時代を取り返すかのようにひたすら球を追った。そして2人は高校2年から国体の神奈川県選抜に選ばれる。先発は、内藤だった。
1つのポジションを争うGKには、そうそうチャンスは巡ってこない。横浜Mの榎本達は昨季リーグ最少失点を支え、名古屋の楢崎は日本代表。さらに両チームとも年代別日本代表がサブに控える。それでもあえて高みに臨む。自分の可能性を信じる強さ、才能に懸ける潔さ。競い合ってきた2人の18歳は、得難い力を共有している。
横浜M対名古屋、GKは飯倉と内藤―。「それやりたいっすね。入場の時とか想像しちゃうと、たまらない」。仲間は再び、ライバルへ
横浜M入団の飯倉と、名古屋入りした内藤。同い年のGK2人は、ともに横浜Mジュニアユース追浜でしのぎを削った。
内藤が言う。「ずっと比べられてきた」。飯倉も「今だから言えるけど、最初のころは内藤が良いプレーをすると憎かった」。交わす言葉は少なかった。互いを強烈に意識し、2人は決して仲がいいとは言えなかった。
変わったのは中学3年になってからだった。2001年9月の高円宮杯全日本ユース県予選準々決勝。相手は横浜Mジュニアユース新子安。先発の飯倉が無失点に抑えるが、得点も奪えずPK戦へ。ここで内藤がGKに入り、2本を止めて勝利をもたらした。
レギュラーは飯倉。だがPKは抜群の強さを誇る内藤が締める。この〝方程式〟でその後チームは全国の頂点に立ち、「互いにできないことを補った」と飯倉。ライバルが、仲間へと変わった。
飯倉は横浜Mユースに昇格。一方、日大藤沢高に進んだ内藤は、GKコーチもいない恵まれた環境とは言えなかったが、メニューを自分で考え、控えに甘んじたジュニアユース時代を取り返すかのようにひたすら球を追った。そして2人は高校2年から国体の神奈川県選抜に選ばれる。先発は、内藤だった。
1つのポジションを争うGKには、そうそうチャンスは巡ってこない。横浜Mの榎本達は昨季リーグ最少失点を支え、名古屋の楢崎は日本代表。さらに両チームとも年代別日本代表がサブに控える。それでもあえて高みに臨む。自分の可能性を信じる強さ、才能に懸ける潔さ。競い合ってきた2人の18歳は、得難い力を共有している。
横浜M対名古屋、GKは飯倉と内藤―。「それやりたいっすね。入場の時とか想像しちゃうと、たまらない」。仲間は再び、ライバルへ
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