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どうしても勝ちたかった。前半3分。飯倉はゴール前に攻め込んできた闘莉王の足元に、素早く飛び込みセーブ。体を張ったプレーで劣勢だったチームにカツを入れた。「前半、ゼロでしのげたのが良かった。勝ててよかった」。リーグ戦自身2度目となる完封勝利に安どした。

 プロ入り5年目。ピンチとチャンスが同時にやってきた。控えGKだった4月26日の名古屋戦後、母・淳子さん(54)が倒れて緊急入院。肺炎で呼吸器をつけたまま眠り続け、生命の危機に直面した。数日後、同29日の磐田戦での先発起用を告げられた。木村監督に母の病状を報告すると「家族が第一じゃないか」と気遣われたが、「自分が試合に出ることが一番の励まし」と出場を決意。07年10月以来のリーグ戦のピッチに立った。

 相手GKは元日本代表の川口。飯倉は「母は俺を試合に出させて死ぬのでは」と不安に駆られながらも、手本にしてきた「憧れ(あこがれ)の人」の前でJ1初完封勝利。その後も、高い身体能力を生かし、リーグ戦に出場し続けた。

 飯倉の活躍が“特効薬”となったのか、母の体調は徐々に回復し6月15日に退院。この日が退院後初の試合だった。「今まで苦労をかけたから、元気づけられればと思った」と浦和を零封し、会心の笑み。「出続ければ日本代表のチャンスも来ると思う」。母へ最高の恩返しをするためにも、ハマの守護神は成長し続ける。

 ◆飯倉 大樹(いいくら・ひろき)1986年6月1日、青森県生まれ。23歳。小学4年のとき横浜Mスクールに入り、中学1年でボランチからGKに転向した。01年全日本ユース選手権優勝。03年国体では神奈川選抜として優勝。05年、横浜M入り。06年にJFLロッソ熊本(現ロアッソ熊本)へレンタル移籍し26試合に出場した。07年に横浜Mへ復帰し、同年10月の清水戦でJ1初出場。180センチ、72キロ。血液型A。
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