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W杯男の勝負強さは、4年たっても健在だった。韓国はFW安貞桓(30)の決勝弾で、トーゴに2-1と逆転勝利。2大会連続の決勝トーナメント進出へ、好スタートを切った。前半に先制を許したが、後半9分にFW李天秀のFKで同点。同27分に、後半投入された切り札が、豪快なミドル弾で勝負を決めた。前回4強の韓国は、今回アジア勢初勝利で実力を見せた。
韓国のW杯男は、ドイツでも健在だった。後半27分、安は右サイドからのパスを、FW朴智星と交差するように走って受けた。右方向に流れながら、右足一閃(いっせん)。「外国のW杯で、韓国が勝ったのははじめて。とてもうれしい」。歴史的な勝利をもたらすゴールに、サイドライン上に横になって、喜びを爆発させた。
前半、後輩たちはトーゴの身体能力と、思いのほか統率の取れた守備に苦戦した。マンチェスターUで名を上げた朴智星は、ボールを持った瞬間、複数のDFに挟み込まれた。少ないチャンスを確実に生かされ、先制も許してしまった。
だが後半開始と同時に、安がピッチに入ると、流れが一変した。キープ力を生かし、相手DFを引き付け周囲の攻めを引き出す。朴智星は、ドリブルのキレを取り戻した。後半8分には、DFアバロの2回目の警告を誘い、数的優位をつくった。直後のFKは、FW李天秀が右足で直接ゴールに突き刺す。「選手たちは、リードを許していても本当に落ち着いていた」とアドフォカート監督。修羅場をくぐってきた精神的支柱を後ろ盾に、選手たちはのびのびとプレーした。
02年大会決勝トーナメント1回戦イタリア戦では、延長戦で決勝弾。世紀の番狂わせは、大会のクライマックスになった。1次リーグの米国戦でも、貴重な同点弾を決めていた。今回大会は、FW李東国の負傷もあってのサプライズ復帰。結果的に、チームに勝利がもたらされた。躍進・韓国の象徴が、再び母国を快進撃に導く。
韓国のW杯男は、ドイツでも健在だった。後半27分、安は右サイドからのパスを、FW朴智星と交差するように走って受けた。右方向に流れながら、右足一閃(いっせん)。「外国のW杯で、韓国が勝ったのははじめて。とてもうれしい」。歴史的な勝利をもたらすゴールに、サイドライン上に横になって、喜びを爆発させた。
前半、後輩たちはトーゴの身体能力と、思いのほか統率の取れた守備に苦戦した。マンチェスターUで名を上げた朴智星は、ボールを持った瞬間、複数のDFに挟み込まれた。少ないチャンスを確実に生かされ、先制も許してしまった。
だが後半開始と同時に、安がピッチに入ると、流れが一変した。キープ力を生かし、相手DFを引き付け周囲の攻めを引き出す。朴智星は、ドリブルのキレを取り戻した。後半8分には、DFアバロの2回目の警告を誘い、数的優位をつくった。直後のFKは、FW李天秀が右足で直接ゴールに突き刺す。「選手たちは、リードを許していても本当に落ち着いていた」とアドフォカート監督。修羅場をくぐってきた精神的支柱を後ろ盾に、選手たちはのびのびとプレーした。
02年大会決勝トーナメント1回戦イタリア戦では、延長戦で決勝弾。世紀の番狂わせは、大会のクライマックスになった。1次リーグの米国戦でも、貴重な同点弾を決めていた。今回大会は、FW李東国の負傷もあってのサプライズ復帰。結果的に、チームに勝利がもたらされた。躍進・韓国の象徴が、再び母国を快進撃に導く。
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日本サッカー協会が、次期日本代表監督として元フランス代表監督で現在、同国サッカー協会テクニカルディレクターのエメ・ジャケ氏(64)に打診したことが7日、明らかになった。日本協会は、4月からジーコ監督の後任探しに着手している。ジャケ氏は、地元で開催された98年W杯で、フランス代表を率いて優勝に導いた。日本協会への返事は保留しているが、ジャケ氏が承諾すれば、世界の頂点に立った知将が日本を率いることになる。
日本協会が白羽の矢を立てたのは、超一流監督だった。川淵三郎キャプテンの指示で、4月末から田嶋幸三技術委員長が次期監督の調査に着手した。3人以上に絞った候補の中から5月、ジャケ氏に監督就任を打診した。同氏から即答は得られなかったが、4年以上も親密な関係を維持していることなどから、前向きに進む可能性は十分ある。
ジャケ氏は、日本と縁が深い。日本協会は今春に福島・Jヴィレッジに「JFAアカデミー」を開校した。そのモデルとなったのは、アンリやトレゼゲらを生んだクレールフォンテーヌ(パリ郊外)のナショナルフットボール学院(INF)だ。日本協会は昨年、INFとの提携に調印しているが、その仲介をしたのが同氏だった。
ジャケ氏は、知将として知られる。チームの和を大事にし、選手との会話を重ねることで個人能力を最大限に引き出す能力にたけている。プラティニ監督が率いた代表チームが米国W杯予選(93年)で敗退したのを受け、98年の地元W杯を目指して就任した。カントナやパパンらのスター選手を外し、ジダン(アルジェリア)やアンリ(西インド諸島)ら、旧植民地や海外領にルーツのある選手を代表入りさせた。
チームをつくり替えたことで就任当初は苦しい戦いが続き、地元マスコミからのバッシングはエスカレートした。だが、信念を貫いて批判をはね返し、96年欧州選手権で4強入り。98年W杯では同国を初優勝に導いた。レキップ紙が優勝紙面で、ジャケ監督に対する一連のネガティブキャンペーンを丁重に謝罪したという逸話もある。
現在のW杯日本代表でアテネ五輪世代は駒野と茂庭の2人だけで、出場32カ国で最も少ない。10年南アフリカ大会に向けての世代交代は必至の状況で、そのプロセスを経験しているジャケ氏は適任といえる。00年には、02年W杯に向けて韓国とイングランドから監督就任のオファーを受けたが「チームをつくるのに2年は短い」と断った。しかし日本は「ポスト・ジーコ」として4年のプランで招請を目指していることから、同氏が8年ぶりに現場復帰する可能性は十分ある。
日本協会が白羽の矢を立てたのは、超一流監督だった。川淵三郎キャプテンの指示で、4月末から田嶋幸三技術委員長が次期監督の調査に着手した。3人以上に絞った候補の中から5月、ジャケ氏に監督就任を打診した。同氏から即答は得られなかったが、4年以上も親密な関係を維持していることなどから、前向きに進む可能性は十分ある。
ジャケ氏は、日本と縁が深い。日本協会は今春に福島・Jヴィレッジに「JFAアカデミー」を開校した。そのモデルとなったのは、アンリやトレゼゲらを生んだクレールフォンテーヌ(パリ郊外)のナショナルフットボール学院(INF)だ。日本協会は昨年、INFとの提携に調印しているが、その仲介をしたのが同氏だった。
ジャケ氏は、知将として知られる。チームの和を大事にし、選手との会話を重ねることで個人能力を最大限に引き出す能力にたけている。プラティニ監督が率いた代表チームが米国W杯予選(93年)で敗退したのを受け、98年の地元W杯を目指して就任した。カントナやパパンらのスター選手を外し、ジダン(アルジェリア)やアンリ(西インド諸島)ら、旧植民地や海外領にルーツのある選手を代表入りさせた。
チームをつくり替えたことで就任当初は苦しい戦いが続き、地元マスコミからのバッシングはエスカレートした。だが、信念を貫いて批判をはね返し、96年欧州選手権で4強入り。98年W杯では同国を初優勝に導いた。レキップ紙が優勝紙面で、ジャケ監督に対する一連のネガティブキャンペーンを丁重に謝罪したという逸話もある。
現在のW杯日本代表でアテネ五輪世代は駒野と茂庭の2人だけで、出場32カ国で最も少ない。10年南アフリカ大会に向けての世代交代は必至の状況で、そのプロセスを経験しているジャケ氏は適任といえる。00年には、02年W杯に向けて韓国とイングランドから監督就任のオファーを受けたが「チームをつくるのに2年は短い」と断った。しかし日本は「ポスト・ジーコ」として4年のプランで招請を目指していることから、同氏が8年ぶりに現場復帰する可能性は十分ある。
W杯日本代表メンバーから落選した横浜のFW久保竜彦(29)が、復帰戦で決勝ゴールを決めた。磐田戦で1-1の後半21分に途中出場。同43分にCKを頭で流し込んだ。左ひざ痛などのコンディション不良によりW杯代表から漏れたが、持ち前の決定力で体調不安と精神的ショックを吹き飛ばした。
独特の得点感覚は健在だった。久保が常識外れの逆転ヘッドで復活ののろしを上げた。MF平野のCKに「触らないようにしようと思った」。だが射程内にクロスが落ちてくると、とっさに反応した。体をゴールと反対の右方向に1回転させてとらえた。並外れた反射神経と身体能力に裏打ちされた、飛び抜けた決定力。「まだ万全じゃないかもしれないが、1発があるのは久保くらい。リスクにかけて投入した」。岡田監督の信頼に応え、1-1のこう着状態を打ち破った。
落選ショックを吹っ切る、けじめの1発だった。代表発表翌日は、体調不良で練習を休んだ。この1週間も「体が重い」と訴えていた。工藤ドクターが「医学的に大きな問題はない」と言うように、心の問題が大きかった。この試合でも指揮官は「どれくらいできるのか分からない」と、後半21分まで投入をためらった。だが久保にとって得点は百薬の長。動きに生気がみなぎった。「あれだけサポーターが応援してくれて、吹っ切れた感じはあった」と久保は振り返った。
W杯代表のFWは高原が右ひざ痛、柳沢が右太もも裏痛を抱える。だが久保の緊急招集の可能性は極めて低い。「今はナビスコ杯後のオフまでの間、練習を頑張るだけ」と本人も割り切っている。DF松田は「自分が落ちた以上に悔しかったからね。ジーコを見返してほしい」。ドイツから遠く離れた日本で、久保がワールドクラスのゴールを決め続ける。
独特の得点感覚は健在だった。久保が常識外れの逆転ヘッドで復活ののろしを上げた。MF平野のCKに「触らないようにしようと思った」。だが射程内にクロスが落ちてくると、とっさに反応した。体をゴールと反対の右方向に1回転させてとらえた。並外れた反射神経と身体能力に裏打ちされた、飛び抜けた決定力。「まだ万全じゃないかもしれないが、1発があるのは久保くらい。リスクにかけて投入した」。岡田監督の信頼に応え、1-1のこう着状態を打ち破った。
落選ショックを吹っ切る、けじめの1発だった。代表発表翌日は、体調不良で練習を休んだ。この1週間も「体が重い」と訴えていた。工藤ドクターが「医学的に大きな問題はない」と言うように、心の問題が大きかった。この試合でも指揮官は「どれくらいできるのか分からない」と、後半21分まで投入をためらった。だが久保にとって得点は百薬の長。動きに生気がみなぎった。「あれだけサポーターが応援してくれて、吹っ切れた感じはあった」と久保は振り返った。
W杯代表のFWは高原が右ひざ痛、柳沢が右太もも裏痛を抱える。だが久保の緊急招集の可能性は極めて低い。「今はナビスコ杯後のオフまでの間、練習を頑張るだけ」と本人も割り切っている。DF松田は「自分が落ちた以上に悔しかったからね。ジーコを見返してほしい」。ドイツから遠く離れた日本で、久保がワールドクラスのゴールを決め続ける。
MF中村俊輔が所属するスコットランドリーグ王者セルティックが、8月に初来日する。同4日に横浜とプレシーズンマッチ(日産ス)を行うことで合意した。横浜は当初、中村獲得を目指しているスペインリーグ1部のセビリアとの試合を進めていたが、下調べの結果、残留の可能性が高いと判断してセルティック戦に変更した。ただし中村がW杯後、ほかのクラブに移籍した場合には試合を行わない。セルティックは日本ツアーで3億円以上の収入が得られることや、中村の活躍で2冠になったことで引き止めに全力を注いでいく。
スペインリーグ1部セビリアが8月に初来日し浦和(3日・埼玉)、横浜(6日・日産)とプレシーズンマッチ(PSM)を行うことが5月31日、分かった。この日はJリーグへのPSM開催の申請締め切り日で浦和、横浜の両クラブが申請を終えた。
昨季のUEFA杯王者セビリアは日本代表MF小野(浦和)、中村(セルティック)獲得に興味を示していた。その中で今回のPSM開催に際し、横浜とは、中村が加入しなければ試合中止との約束を交わした。
横浜側にはAマドリードなどからも「中村獲得」を条件とするPSMのオファーが届いていた。だが調査の結果、セビリアの方が中村獲得の可能性が高いと判断しPSM開催へ動いた。セビリアは浦和とは「条件付き」の交渉はしておらず今後、中村獲得へ本格的に動き出す可能性も出てきた。
昨季のUEFA杯王者セビリアは日本代表MF小野(浦和)、中村(セルティック)獲得に興味を示していた。その中で今回のPSM開催に際し、横浜とは、中村が加入しなければ試合中止との約束を交わした。
横浜側にはAマドリードなどからも「中村獲得」を条件とするPSMのオファーが届いていた。だが調査の結果、セビリアの方が中村獲得の可能性が高いと判断しPSM開催へ動いた。セビリアは浦和とは「条件付き」の交渉はしておらず今後、中村獲得へ本格的に動き出す可能性も出てきた。
W杯メンバーから漏れた横浜FW久保竜彦(29)が17日、クラブでの練習を再開した。16日は傷心からか、体調不良を訴え練習を休んで自宅で1日を過ごしていた。そのためこの日はナビスコ杯福岡戦には帯同せず、横浜の練習場でサテライト選手と約2時間、体を動かした。
少しは気持ちの整理もついたのだろう。時折笑顔も見せながら、久保はボールをけり続けた。キリン杯期間中に違和感を訴えていた両足首もかばわない。キレのある深い切り返しなども見せた。練習後には「ぼちぼちやっていきます」とうなずいた。負傷者が出たときなどに限り登録変更による代表復帰の可能性もあるが「ナビスコ杯を頑張りますよ」と苦笑するのみ。GK下川は「明日は奥とか松田も戻ってくるし、徐々に元気づけてやりたい」と気遣った。
少しは気持ちの整理もついたのだろう。時折笑顔も見せながら、久保はボールをけり続けた。キリン杯期間中に違和感を訴えていた両足首もかばわない。キレのある深い切り返しなども見せた。練習後には「ぼちぼちやっていきます」とうなずいた。負傷者が出たときなどに限り登録変更による代表復帰の可能性もあるが「ナビスコ杯を頑張りますよ」と苦笑するのみ。GK下川は「明日は奥とか松田も戻ってくるし、徐々に元気づけてやりたい」と気遣った。
W杯代表から落選したFW久保竜彦(29=横浜)が、16日のクラブの練習を休んだ。練習開始前に電話で体調不良を訴えた。ジーコジャパン最多の通算11得点を挙げて、エースと見られたが、15日にまさかのメンバー漏れ。落胆から、練習参加も難しくなったものとみられる。
久保の不在は、チームメートの心にも影を落とした。「チームの調子が良ければタツも選ばれたかも」とMF吉田。GK下川は「思い入れが強かった分、気持ちが切れないか心配」と表情を曇らせた。岡田監督も「自分で乗り越えるしかないぞ」と本人を励ましたことを明かし、周囲の選手には「タツを支えてやってくれ」とサポートも依頼した。17日のナビスコ杯福岡戦のメンバーから外したことも明言。傷心のドラゴンには、心を癒やす時間が必要だ。
久保の不在は、チームメートの心にも影を落とした。「チームの調子が良ければタツも選ばれたかも」とMF吉田。GK下川は「思い入れが強かった分、気持ちが切れないか心配」と表情を曇らせた。岡田監督も「自分で乗り越えるしかないぞ」と本人を励ましたことを明かし、周囲の選手には「タツを支えてやってくれ」とサポートも依頼した。17日のナビスコ杯福岡戦のメンバーから外したことも明言。傷心のドラゴンには、心を癒やす時間が必要だ。
潤んだ瞳が虚空を見詰めた。横浜FW久保がW杯出場メンバーから漏れた。ジーコジャパン最多の11得点を挙げ、本大会でも主力と期待されていただけに、落胆は大きかった。横浜のクラブで気丈に臨んだ会見。「そりゃもう、残念です」と、ぼそっと言った。
落選の知らせは、新幹線の移動中に最愛の人から聞かされた。「嫁からの電話で知りました。今回はいいチャンスだった。つかめそうだったけど、それはしょうがないから」。ぶっきらぼうな男が、自分を納得させるように多弁になった。
2度目の経験。「また落ちたかって感じ」と言った。トルシエ監督に才能を評価され、02年W杯日韓大会メンバー入りもうわさされた。だがFW中山選出の余波で落選。気持ちを立て直し、ジーコジャパンでは04年の欧州遠征で連続得点した。だが今度は椎間板(ついかんばん)ヘルニアというサプライズに襲われた。ブランクは1年以上にもおよんだ。
横浜GK下川は「W杯出場だけを心の支えに、あいつは頑張ってきた」と明かす。1月の合宿中、ジーコ監督に「W杯に出たいか」と聞かれ「ぜひ出たい」と答えた。ケガも乗り越え、ようやく目の前にした夢舞台。肉体の違和感に過敏になるのも、無理はなかった。9日のキリン杯ブルガリア戦は、両足首の痛みを訴え欠場した。ジーコ監督は言葉では「プロらしい決断」と本人の意向を尊重したが、結果的にはマイナスだった。13日の同スコットランド戦では先発も無得点。久保は「不安があり、100%でやれる状態じゃなかった。ジーコ監督の判断も仕方ない」と唇をかんだ。
ドイツ行きの可能性が消えたわけではない。けが人が出れば、6月12日のオーストラリア戦の24時間前まで登録変更は可能だ。だが「前回大会より(選ばれるだろうという思いは)強かったから」と落胆の色は濃い。「ナビスコ杯(17、21日)で頑張るだけ。一緒にやってきた仲間だから、頑張ってほしい」と、静かにエールを送った。
横浜岡田監督はノーコメント
横浜の岡田監督は15日、久保の落選について、ノーコメントを貫いた。98年フランス大会の日本代表監督として選手選考に頭を悩ませ、カズ、北沢らをW杯メンバーから外した経験からか「久保については何も話さないよ」と、報道陣の質問の機先を制した。
落選の知らせは、新幹線の移動中に最愛の人から聞かされた。「嫁からの電話で知りました。今回はいいチャンスだった。つかめそうだったけど、それはしょうがないから」。ぶっきらぼうな男が、自分を納得させるように多弁になった。
2度目の経験。「また落ちたかって感じ」と言った。トルシエ監督に才能を評価され、02年W杯日韓大会メンバー入りもうわさされた。だがFW中山選出の余波で落選。気持ちを立て直し、ジーコジャパンでは04年の欧州遠征で連続得点した。だが今度は椎間板(ついかんばん)ヘルニアというサプライズに襲われた。ブランクは1年以上にもおよんだ。
横浜GK下川は「W杯出場だけを心の支えに、あいつは頑張ってきた」と明かす。1月の合宿中、ジーコ監督に「W杯に出たいか」と聞かれ「ぜひ出たい」と答えた。ケガも乗り越え、ようやく目の前にした夢舞台。肉体の違和感に過敏になるのも、無理はなかった。9日のキリン杯ブルガリア戦は、両足首の痛みを訴え欠場した。ジーコ監督は言葉では「プロらしい決断」と本人の意向を尊重したが、結果的にはマイナスだった。13日の同スコットランド戦では先発も無得点。久保は「不安があり、100%でやれる状態じゃなかった。ジーコ監督の判断も仕方ない」と唇をかんだ。
ドイツ行きの可能性が消えたわけではない。けが人が出れば、6月12日のオーストラリア戦の24時間前まで登録変更は可能だ。だが「前回大会より(選ばれるだろうという思いは)強かったから」と落胆の色は濃い。「ナビスコ杯(17、21日)で頑張るだけ。一緒にやってきた仲間だから、頑張ってほしい」と、静かにエールを送った。
横浜岡田監督はノーコメント
横浜の岡田監督は15日、久保の落選について、ノーコメントを貫いた。98年フランス大会の日本代表監督として選手選考に頭を悩ませ、カズ、北沢らをW杯メンバーから外した経験からか「久保については何も話さないよ」と、報道陣の質問の機先を制した。
横浜は代表勢がそろって低調な出来に終わった。DF中沢は名古屋FW玉田のスピードに対処し切れず。終盤のセットプレーでは、マークについたFW古賀に同点ヘッドも許してしまった。「よく分かりません。気づいたら入れられていた」と肩を落とした。FW久保もシュート0本のまま、後半7分に交代。ケガなどはなかったが、試合終了と同時に帰りのバスに乗り込み、何も語ることはなかった。
横浜は2日のキリン杯代表メンバー発表を前に、DF中西が8年前の「転機」を懐かしんだ。98年W杯直前に行われたキリン杯チェコ戦。小村、秋田の負傷を受けて先発フル出場し、強豪国を完封。この1試合でベンチウオーマーは、一転してW杯の正位置をつかんだ。「出るための準備を怠らなかったから運をつかめた」。その教訓はプロ15年目の今も生きる。左足首負傷も完治し、3日の名古屋戦に今季リーグ初出場をかける。
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