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テレビカメラの前に立つのは大の苦手だ。しかし久保は、気丈に落選の会見に臨んだ。クラブハウス2階の一室には約100人の報道陣がひしめき、テレビ3局が生中継。両手を後ろに組み、唇をかみ締める。「そりゃ、もう残念です」が第一声だった。

 無口な男が、この日は矢継ぎ早の質問にも気後れせずに対応した。「嫁から電話が来て知りました。いいチャンスをつかめそうだったけど、もう仕方ない」ショックは大きいはずなのに、ハキハキとよどみのない口調で話した。

 サプライズはない。そう断言していたジーコ監督だからこそ、波紋は大きかった。2月22日のアジア杯予選・インド戦後に、指揮官自ら「核」として指名した久保を、最後の最後で外した。

 コンディション不良。しかし、それは今に始まったことではない。椎(つい)間板ヘルニアなどで長期離脱していたが、久保は年明けから必死に体調を整え、実戦感覚を取り戻してきた。万全でない状態の中でも代表戦で起用され続け、指揮官から信頼を寄せられたのも事実。欠場した9日のブルガリア戦も、強行出場できたかもしれない。しかし照準はあくまでドイツ本大会だった。13日のスコットランド戦を終えた後も、通い続けた山形にある酵素風呂に治療に向かった。その帰りの新幹線で、落選の一報が待っていた。

 心配するチームメートには「また落っこっちゃったよ」と漏らした。02年日韓W杯でも直前の欧州遠征に参加しながら、落選。2大会連続で苦汁をなめた。だが「当確」とされていた今回はショックの大きさも計り知れない。

 ◆久保に聞く

 ―当確といわれていたが。
「周りは別に関係ない。落ちたことは残念」

 ―今回はいけるのではという思いは強かった?
「前(02年日韓W杯)よりは強かった。でもこの2試合は不安もありました」

 ―ジーコ監督はコンディションを理由に挙げていた。
「まだ100%でやれる状態じゃなかったから、そういう判断ならしようがない。監督の判断だから。いろいろ治療してもらって少しでもいい状態でというのは、周りのみんなも考えてくれていたことだし、どんどん良くなっている感じだった。選ばれたらやれることやるしかないと考えていた」

 ―23人に選ばれた選手やチームメートの中沢には?
「ホント、今まで練習や試合をいっぱいした仲間だから思い切り頑張ってほしい。(中沢)佑二にも頑張ってほしい。あいつが守りで、おれが攻めで3年、4年やってるから。ホント、頑張ってほしい」

 ―10年の南アフリカW杯は入りたいと思う?
「そりゃ呼ばれたら行きますよ。体調良かったら」
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ばかか
トップに立ちたかったらもっと生活習慣から勉強し直しなさい。自覚が足りなかったの一言。才能・能力・チャンスがありながら自らの管理不足・勉強不足が招いた結果でしょう。これからの選手はもっとジュニアの世代から意識と知識をもってトレーニングに望まなければ世界に勝てない。
マンマ 2006/08/19(Sat)23:47:20 編集
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