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リーグ16位とJ2降格圏内に転落した横浜Mが14日、桑原隆監督(60)と結城治男コーチ(45)の解任と、新監督に木村浩吉チーム統括本部長(47)の就任を発表した。13日の新潟戦でリーグ戦4連敗を喫したことで、斎藤正治社長が監督交代を最終決断。松本喜美男・育成普及本部長(53)の統括本部長兼任も決めた。次戦の16日の神戸戦(アウェー)まで中2日と厳しい日程の中、まずは8戦ぶりのリーグ戦勝利を目指す。
低迷する名門がようやく重い腰を上げた。泥沼のリーグ戦4連敗から一夜明け、斎藤社長は桑原監督に解任を通告。後任を木村氏に決め「チームを結果に導くのはリーダーの責任。試合(新潟戦)を見ながら判断した」と説明した。
木村新監督は初の監督業となるが、選手としてもコーチとしても現場経験が豊富で独自の視点を持つ。早速、コンディションのいい選手から起用する方針を示し、レギュラーが白紙であることを強調して競争を喚起。助っ人のFWロニーやMFロペスらも、不調なら先発から外す考えだ。これに若手MF長谷川が「アピールすればチャンスが来る」と話すなど、選手は早くも反応。午後からのサブ組中心の練習は、明らかに雰囲気が変わった。
新体制は厳しい状況から船出する。16日の神戸戦まで中2日。その後、中3日で20日の鹿島戦があり、時間はあまりに少ない。強化部は6日の川崎戦で敗れた時点で監督交代の方針を固めたが、土壇場で見送られており、後手に回った印象は否めない。それでも新指揮官は「緊張している暇もない。逆に時間がない方がいいのかもしれない」と前向きにとらえた。
横浜Mは09年のリーグ優勝、10年のホーム公式戦100万人動員を目指し、今季、桑原監督を2年契約で招へい。その体制はわずか7か月で崩れたが、斎藤社長は「目標は変えない」と話す。ここ3季で5人目の監督誕生と迷走する元王者。再建を託された木村新監督は「少しでも上位を」と闘志を見せた。
◆木村 浩吉(きむら・こうきち)1961年7月12日、東京都生まれ。47歳。三菱養和に所属し、早大卒業後、日産自動車サッカー部に入部。攻撃的選手として天皇杯優勝や日本リーグ優勝などを経験し、日産黄金時代の一翼を担った。91年から日産自動車ヘッドコーチに就任。93~96年横浜Mヘッドコーチ。06年に横浜Mチーム統括本部主管に就任。07年の関東学院大学サッカー部コーチを経て、今年1月に横浜Mのチーム統括本部長に就任した。
◆もっとやりたかった ○…解任を通告された桑原監督は、不完全燃焼の思いを語った。「ギブアップするつもりはなかったし、手応えを感じていた。もっとやりたかったけど、これはクラブが決めること」と肩を落とす一方、「僕が辞めることできっかけになればいいと思う」と話した。また、「選手には感謝している。ただ、チームが一枚岩になれなかったことは反省しないと」と無念さをにじませた。
低迷する名門がようやく重い腰を上げた。泥沼のリーグ戦4連敗から一夜明け、斎藤社長は桑原監督に解任を通告。後任を木村氏に決め「チームを結果に導くのはリーダーの責任。試合(新潟戦)を見ながら判断した」と説明した。
木村新監督は初の監督業となるが、選手としてもコーチとしても現場経験が豊富で独自の視点を持つ。早速、コンディションのいい選手から起用する方針を示し、レギュラーが白紙であることを強調して競争を喚起。助っ人のFWロニーやMFロペスらも、不調なら先発から外す考えだ。これに若手MF長谷川が「アピールすればチャンスが来る」と話すなど、選手は早くも反応。午後からのサブ組中心の練習は、明らかに雰囲気が変わった。
新体制は厳しい状況から船出する。16日の神戸戦まで中2日。その後、中3日で20日の鹿島戦があり、時間はあまりに少ない。強化部は6日の川崎戦で敗れた時点で監督交代の方針を固めたが、土壇場で見送られており、後手に回った印象は否めない。それでも新指揮官は「緊張している暇もない。逆に時間がない方がいいのかもしれない」と前向きにとらえた。
横浜Mは09年のリーグ優勝、10年のホーム公式戦100万人動員を目指し、今季、桑原監督を2年契約で招へい。その体制はわずか7か月で崩れたが、斎藤社長は「目標は変えない」と話す。ここ3季で5人目の監督誕生と迷走する元王者。再建を託された木村新監督は「少しでも上位を」と闘志を見せた。
◆木村 浩吉(きむら・こうきち)1961年7月12日、東京都生まれ。47歳。三菱養和に所属し、早大卒業後、日産自動車サッカー部に入部。攻撃的選手として天皇杯優勝や日本リーグ優勝などを経験し、日産黄金時代の一翼を担った。91年から日産自動車ヘッドコーチに就任。93~96年横浜Mヘッドコーチ。06年に横浜Mチーム統括本部主管に就任。07年の関東学院大学サッカー部コーチを経て、今年1月に横浜Mのチーム統括本部長に就任した。
◆もっとやりたかった ○…解任を通告された桑原監督は、不完全燃焼の思いを語った。「ギブアップするつもりはなかったし、手応えを感じていた。もっとやりたかったけど、これはクラブが決めること」と肩を落とす一方、「僕が辞めることできっかけになればいいと思う」と話した。また、「選手には感謝している。ただ、チームが一枚岩になれなかったことは反省しないと」と無念さをにじませた。
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