忍者ブログ
マリノス記事を日々収集  
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

J1横浜MのドイツW杯日本代表DF中沢佑二(28)に対しJ1名古屋から獲得要請が届いていることが2日、判明した。横浜Mのクラブ幹部が明かした。

 今後、本格交渉に入る予定だが、横浜Mは中沢との契約を2年残している上、貴重な戦力として考えているという。ただ、中沢の年俸が9000万円(推定)と高額で、実現すればクラブ側は移籍金2-3億円を得られるため、今後の交渉が注目される。

PR
“セクシーサッカー”の申し子が、反町ジャパン入りだ。新戦力の発掘に尽力する反町監督が白羽の矢を立てたのは、若干18歳の野洲高の指令塔MF乾だった。

 「正直、ビックリしてます。とにかく自分らしいプレーをしたいです」

 3時限目の授業が終わると、サッカー部の山本監督に突然、呼び出された。「何のことか全然わからなかった。予感? 全然なかった」という乾に03年のFW平山(当時国見高)以来となる、U-21代表への飛び級選出の吉報がもたらされた。

 「ドリブルとパス。何をするか分からないようなプレーでアピールしたい」

 昨年度の高校選手権で全試合に出場し、全国制覇に貢献。抜群のテクニックとアイデアで右サイドを突破する2年生MFに、関係者は驚愕した。反町監督は10月22日に野洲高で行われた練習試合に直接足を運び、今月5日の試合にもスタッフを派遣している。

 11日の高校選手権予選準決勝・膳所高戦後、すぐに韓国渡り、14日に試合。15日に帰国すると18日に県大会決勝という強行日程になるが、「気にしない。韓国はフィジカルが強いと思うけど、フィジカルより大切なものがある。テクニックで対抗したい」。テクニックを重視し、華麗なつなぎを“セクシーサッカー”と称して、日本一に導いた山本監督も「野洲サッカーの申し子」と言い、教え子の可能性を強く感じている。

 「(08年北京)五輪には出たい。チャンスをもらえたので頑張りたい」

 18歳の乾が、日本サッカー界に新たな息吹を吹き込む。
J1横浜M監督を今年8月に辞任し、今後の進路が注目されていた元日本代表監督の岡田武史氏(50)が、来季はJクラブ監督をする意思がないことが1日、分かった。日本サッカー協会・川淵三郎キャプテン(69)が明らかにした。

 川淵キャプテンによると、岡田氏は同日、同キャプテンへ電話連絡。以前から関心が高い地球環境問題について、日本協会と一緒に活動をしたいとの希望を伝えた。同キャプテンもこれを快諾。年内にも協会内に、岡田氏を中心とした環境問題対策部門を設置する方向となった。電話で岡田氏は「今は監督はやりません」とも明言。複数クラブから来季監督のオファーがあったものの、すべて断ったことを伝えた。横浜Mを03、04年連覇に導くなどした指導力に対し、FC東京などが興味を示していた岡田氏だが、来年は02年以来5年ぶりに現場を離れて充電することになった。

J1第26節最終日(10月7日、新潟1-0横浜M、新潟スタジアム)横浜Mは前節に続いて終盤の失点に泣いた。水沼監督就任以降、リーグ戦初の連敗に選手も一様に沈んだ表情だ。水沼監督は「選手はショックを受けているが、前向きにやっていく」と話したが元気がなかった。

 後半44分、DF松田のクロスをFW大島が頭で落とし、FW坂田が詰めてゴールネットを揺らしたが判定は無情のオフサイド。2試合続けて無得点に終わった。FW山瀬功は「いい時と比べたら、攻撃の形ができていない」と歯がゆそうだった。

16日の福岡戦で得点を決めるも相手DFへの頭突きで退場し、2試合の出場停止処分を受けた横浜MのFW久保がこの日の紅白戦で主力組に入り、約30メートルのミドル弾を決めるなどキレのある動きを披露。水沼監督は「コンディションが心配だったけど全然悪くない」と語り、30日の磐田戦(日産ス)での先発出場が濃厚となった。久保は「出られたら頑張ります」と、短い言葉のなかに強い決意を見せた。
横浜Mのイケメン日本代表MF田中隼が“王子”に選ばれた。来月23日発売の女性誌「JUNON」12月号(主婦と生活社)が“ハンカチ王子”こと早実・斎藤佑樹投手にちなんだ特集で各界の“王子”を選出。サッカー界で指名された。その田中隼、偶然にも入手困難なあの青いハンカチを持っていることを告白。「友達から“ゴールしたら汗をふいて”ともらったんですが…。自分は柄じゃないのでタツさん(久保)が決めたら」と笑わせた。
02年に現役引退していた元東京VのFW矢野隼人(25)が26日、入団テストを受けるため、J1横浜Mの練習に参加。引退後、自動車販売店の店長まで務めた“和製ロナウド”が、4年ぶりのプロ復帰に向けて動き出した。





 大雨の中、長く伸ばした髪をなびかせてボールを追った。横浜・みなとみらいでの横浜Mの練習。矢野が、J復帰に向けて動き出した。

 「不安はある。1度辞めた人間なので高望みはしない。でも、もちろんJ1でやれれば…」

 帝京高在学中の99年、史上初の強化指定選手としてV川崎(現東京V)でJデビュー。ゴールへの鋭い嗅覚(きゅうかく)と丸刈り頭の風ぼうから“和製ロナウド”と騒がれた。しかし00年のプロ入り後は、3年間で出場10試合無得点。02年末に戦力外通告を受けて引退した。

 03年から自動車販売会社に勤務。店長にまで昇進したが、今年6月に退職を申し出た。中学の恩師から「もう1度、サッカーをやってみては」と誘いを受けたのがきっかけ。3年以上離れていた本格的なトレーニングを再開した。

 テストは30日まで。初日を見た水沼監督は「思っていたより走れていた」と評価する。27日からの実戦メニューが合否の判断材料になる。横浜MのDF中沢は東京V時代の同僚。「中沢さんには“積極的に!”といわれた。またレベルの高い所でやりたい」。元スター候補が、第2のサッカー人生の幕を開ける。
左ふくらはぎ肉離れで戦線離脱していたDF中沢がチーム練習に完全合流した。フィジカル中心の2部練習だったが常に先頭を走るなど復調ぶりをアピール。水沼監督は「問題ない。サッカーをしたいという気持ちにあふれてる」と次戦9日の川崎戦(日産ス)復帰を明言。中沢は「きょうは必死に走った」と8月12日の川崎戦(等々力)以来、約1カ月ぶりの復帰に向け気合十分だった。
27日の就任初戦(京都戦)を4-0白星で飾った横浜Mの水沼貴史新監督が、30日の甲府戦(三ツ沢)でホーム初勝利に挑む。「楽しく、この間のようにやってくれればいい試合はできる」と手応え。9月2日にはナビスコ杯準決勝も控えるなか、MF山瀬功ら代表招集が予想される主力もいるが「いない中でやるだけ」と、自然体で常勝軍団復活を目指す
再建への願いは水沼新監督に託された。今季6勝5分け8敗、首位に勝ち点19差の12位。2年ぶりの優勝が絶望となり岡田監督が23日夜、辞任の意思をクラブ幹部に伝えると、了承したクラブ側から後任の大役に指名された。

「たいへん(な任務)だと思う。けれど、今いる選手たちをよみがえらせたい。みんな力を持っている」。さっそく指揮をとった24日の東戸塚グラウンドでの練習後、直立不動で抱負を語った。初のJ監督就任への指令は突然だった。

後半ロスタイムの失点で1-2と敗れた前夜の大宮戦後。東戸塚のクラブハウスで入浴中の風呂場に岡田監督がやってきた。「タカシ! オレはアウトになった」。辞任を伝えられて絶句。そして風呂を出ると幹部から監督就任の依頼。即答で受諾した。

水沼新監督は今季から古巣・横浜Mのコーチに就任し、4年目を迎えた岡田監督をサポートしてきた。しかし、チームはこの日解任されたアンジェロ新フィジカルコーチによる猛トレーニングの影響か故障者が続出。また「一段上を」とパスサッカーを目指した岡田さい配がかみ合わずに低迷した。

「ぼくらにも責任がある」と水沼新監督。左伴繁雄社長は「“監督代行”として当面指揮をとってもらう。今後については戦況を見ての判断になる」と就任は暫定的で監督契約期間は未定。元スター選手としての好待遇などはない。

「厳しいのは当然。覚悟しています」と語った新監督は選手に向けてはこう所信表明した。「100%、120%でやるからついてこい!」。リーグ戦は残り15試合、全力で荒波に立ち向かう。

★岡田監督「勝負の執着心薄れた」
岡田監督は選手への退任あいさつ後、会見で「これで責任を取らなかったら今後、自分は責任を取れなくなる。勝負に対する執着心もなぜか薄れた。(19日の)C大阪戦後、決断すべきと考えた」と明かした。20日に辞意を伝えた際には慰留されたが、23日夜の中村取締役らとの再会談で了承された。今後については「体は動かした方がいいから働こうかな。サッカーの世界に戻るかは分からない」と語り、クラブからリースされていた日産車を残してクラブハウスを後にした。

カレンダー
10 2024/11 12
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
ブログ内検索
QRコード
アクセス解析
カウンター
忍者ブログ [PR]
ブログパーツ ブログパーツ レンタルCGI