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横浜Mは開始2分にFW坂田が先制したが、その後は拙攻が目立ち、後半34、40分とセットプレーから失点。前半戦最後の試合で勝率5割復帰を狙ったが、屈辱の逆転負けで5勝5分け7敗の折り返しとなり、ホームサポーターから大ブーイングを浴びせられた。木村監督は「半分終わってちょうどいい区切り。新しい選手を加えていこうかなと思う」とチームのテコ入れを示唆した。

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横浜Mの23歳のDF天野が、出場停止のDF田中に代わり11日の山形戦(ニッパ球)でリーグ戦初先発する可能性が出てきた。「まだ(先発か)分からないし、気は抜けない」と言いながらプロ5年目のチャンスに顔を紅潮。今季リーグ戦で唯一途中出場した4月11日の神戸戦では、チーム一の声援を受けた苦労人。初先発となれば、ホーム戦は最高に盛り上がる。

浜Mは組織的な守備でゴール前を固める大宮を攻めあぐね、スコアレスドロー。大宮にはリーグ戦では未勝利で4分け5敗と9試合勝ち星がない。この日、ボランチでプレーしJ1通算350試合出場を達成した松田は「チームの雰囲気はいい。あとは勝ちきるだけ」と次節の山形戦に向けて気持ちを切り替えた。

横浜MのDF松田が節目の試合で結果を残す。4日の大宮戦(アウェー)はJ1で350試合目。J史上16人目、単一クラブで達成した選手に絞れば、6人目の快挙となる。松田は試合前日の3日、「明日(4日)は結果を出したい」と意気込んだ。今はチームのタイトル奪取とともに代表復帰が目標。大宮戦は日本代表の岡田監督も視察予定で、勝利に貢献し、アピールするつもりだ。

横浜Mは“魔の3分間”で痛恨の逆転負けを喫した。前半20分にMF松田の右足ボレーで先制したが、後半7分に失点すると、同9分にはゴールライン際でGK飯倉がCKを逃れようとはじいたボールが相手MF橋本に渡り2点目。前半、再三の好守を見せていた飯倉は「オレが流れを壊してしまった」と肩を落としたが、木村監督は「飯倉に助けられたゲームもある」とかばった。

どうしても勝ちたかった。前半3分。飯倉はゴール前に攻め込んできた闘莉王の足元に、素早く飛び込みセーブ。体を張ったプレーで劣勢だったチームにカツを入れた。「前半、ゼロでしのげたのが良かった。勝ててよかった」。リーグ戦自身2度目となる完封勝利に安どした。

 プロ入り5年目。ピンチとチャンスが同時にやってきた。控えGKだった4月26日の名古屋戦後、母・淳子さん(54)が倒れて緊急入院。肺炎で呼吸器をつけたまま眠り続け、生命の危機に直面した。数日後、同29日の磐田戦での先発起用を告げられた。木村監督に母の病状を報告すると「家族が第一じゃないか」と気遣われたが、「自分が試合に出ることが一番の励まし」と出場を決意。07年10月以来のリーグ戦のピッチに立った。

 相手GKは元日本代表の川口。飯倉は「母は俺を試合に出させて死ぬのでは」と不安に駆られながらも、手本にしてきた「憧れ(あこがれ)の人」の前でJ1初完封勝利。その後も、高い身体能力を生かし、リーグ戦に出場し続けた。

 飯倉の活躍が“特効薬”となったのか、母の体調は徐々に回復し6月15日に退院。この日が退院後初の試合だった。「今まで苦労をかけたから、元気づけられればと思った」と浦和を零封し、会心の笑み。「出続ければ日本代表のチャンスも来ると思う」。母へ最高の恩返しをするためにも、ハマの守護神は成長し続ける。

 ◆飯倉 大樹(いいくら・ひろき)1986年6月1日、青森県生まれ。23歳。小学4年のとき横浜Mスクールに入り、中学1年でボランチからGKに転向した。01年全日本ユース選手権優勝。03年国体では神奈川選抜として優勝。05年、横浜M入り。06年にJFLロッソ熊本(現ロアッソ熊本)へレンタル移籍し26試合に出場した。07年に横浜Mへ復帰し、同年10月の清水戦でJ1初出場。180センチ、72キロ。血液型A。
俊輔の晴れ姿を期待してチケットを買ったファンもいたかもしれない。しかし、横浜Mイレブンは「俊輔がいれば」という思いをかき消すような好試合を披露した。雨が降りしきる中、4万人を超える観客が詰め掛けた日産スタジアムで、後半14分にFW渡辺、同20分にはFW山瀬が立て続けにゴール。浦和を2―0と粉砕した。

 交渉が順調に進んでいれば、俊輔の復帰戦となっていたはずの試合。この日は横浜開港150周年を記念して製作された青と白の横じまのユニホームを着用したが、デザインは俊輔が所属したセルティックのものと酷似しており、本来なら“俊輔祭り”として位置付けられた試合だった。しかし、そんな環境にも集中力を切らさず浦和を圧倒。DF松田は「みんなプロとしてプライドを持っている」と胸を張った。

木村浩吉監督(47)も期待していた俊輔の獲得が不調に終わる中、冷静に戦略を練った。試合前には「後半残り20分になると浦和はバタッと足が止まる」と伝達。その指示通り、チームは序盤の猛攻をしのいで徐々に試合を支配した。終盤には4バックから3バックに変え、完封勝ちを収めた。

 俊輔の加入は実現しなかったが、チーム力は確実に向上。渡辺はこの日の得点でリーグ6得点となり、俊輔やFW高原(浦和)が新人時代に記録した5得点を上回った。「まだまだ取れるでしょ」と言う渡辺を筆頭に、若手は着実な成長を見せている。

 これで8位に浮上。「うまくチームがかみ合っているし、1試合、1試合戦っていくだけ」と山瀬は言う。クラブ首脳の失態で俊輔獲得に失敗したが、現場は一丸となって上位進出を目指す。
横浜Mが新人エースのプロ入り初となるアウェーゴールで、A組2位に浮上した。1―0で迎えた後半開始早々。DF田中のクロスをFW渡辺が頭でたたき込んだ。これまで公式戦7得点はすべて本拠地だっただけに「取れて良かった」と安どの笑み。アウェー10戦目での初得点に「これからはアウェーでも取っていきたい」と“内弁慶”返上を誓った。7日の大宮戦(アウェー)でも得点し、チームを7年連続の決勝トーナメントへ導く。
横浜Mは、日本代表DF中沢の穴が響き、ホームで勝ち損ねた。MF山瀬の2得点で後半14分まで2点をリード。A組首位が視界に入った途端、「足が止まり、ズルズル引いてしまった」と木村監督。中沢不在もあり、公式戦5戦ぶりにDFに入った松田が、大分FW陣に競り負けるなど25分間で3連続失点。それでも、後半ロスタイムに松田が頭で意地の同点弾。元日本代表DFは「僕が試合をぶち壊した。次は必ず勝ちたい」と反省しきりだった。

◆ヤマザキナビスコ・カップ第3日 ▽グループA 横浜M3―1広島(20日・日産スタジアム) A組の横浜Mは、ルーキーFW渡辺千真(23)の2得点などで広島に3―1で競り勝ち、チームに初勝利をもたらした。

 横浜Mの新人FW渡辺が、またもやホームで大暴れだ。開始2分、相手DF槙野のバックパスをカット。そのままGK中林をかわし、右足でたたき込んだ。同点とされた前半38分にはドリブル突破でDF中島を置き去りにし、トーキックでGKの股(また)を抜く決勝弾。今季開幕戦をけ散らし、「開幕戦ではゴール以外何もできなかった。借りを返したかった」と笑顔を浮かべた。

 リーグ5得点の活躍で日本代表候補入り。岡田監督が視察したここ2試合では結果を残せなかったが、21日の発表前夜に活躍。これでホームは8戦7発。観戦した日本サッカー協会の原博実強化担当技術委員長は「ああいうところで確実に決めた。2点目なんてすばらしかった」と高く評価し、「あとは現場の担当コーチが決めるでしょう」と話した。

 本人は「代表? ないっしょ。待つだけです。選ばれたらラッキーですよ」といたって冷静。チームのナビスコ杯初勝利を引き寄せたルーキーが最後の最後で猛アピールした。

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